岸田劉生の麗子微笑は変なのか?

『麗子微笑』(国立博物館蔵)

岸田劉生の麗子微笑は、教科書に載っている時、子供心にちょっとこわい、暗い嫌な怖さの絵だと感じていました。ズングリとした背丈、決して可愛いとはいえない麗子、何より少し陰翳があり暗かった。この絵は、文化財指定を受ける作品です。何故?いろいろ調べてみようと思いました。

先日、東京ステーションギャラリーで岸田劉生没後90年の企画展が行われていました。絵を間近で拝見すると絵の深さが見えて来ました。新しい発見は楽しいものです。この絵は、仏画に近い形で書いたと今回拝見して感じます。劉生は、病気の為、外でのスケッチができませんでした。室内での人物画や静物画の力強さが現れている作家です。フランスに行き画業の研鑽を積んだものではなく、ヨーロッパ絵画の模写や研究を積み重ねた洋画家といえるでしょう。

この東京ステーションギャラリーの図録の劉生の言葉に依ると『作品に美術上深い域を脱するには、あるところで写実を欠除させその欠除を写実以上の深い美に依って埋めれば良いという事である。ここに美術上の最も深い超現実が生まれる』とあります。写実風に書くことは、可能であり明白です。しかし、劉生は、そのリアリティを崩しながら内面の愛情を表に出す事に集中したと考えました。病気の為、外で絵が書けず、室内で身近なものを描き続ける。自然と娘麗子の成長の足跡を残す事を表現の一つにしたのかも知れません。娘を思う親心、子供が仏様に見えるとよくいわれますが、この麗子微笑は仏画の要素が自然と入り込んだ作品ではないでしょうか?

麗子微笑をよく見るとお地蔵さんに見えてきます。ズングリな背丈、やや横長でまんまるな顔立ち、ベースの色は赤であるが、背景は、少し暗い感じになっている。おかっぱの髪型も阿弥陀の螺髪を思い起こされる。劉生は、日本の仏画の趣きを洋画に取り入れて我が子を表現しようと試みたのではないかと思いました。欠除を写実以上の深い美に依って埋める・・・・仏画における気品の様なものを感じます。

私たちザンシン堂においては、一枚の絵について語り合う会を行う事を予定しています。一枚の絵も捉え方、見方により全く違ったものに見えてきます。人それぞれの感性を尊重し、他者との違いを自分で吸収する力をつけていける。そんな絵画鑑賞の会にしたいと考えています。

 随時、情報をアップしてまいりますので今後ともよろしくおねがいします。少し長くなりました。お付き合い頂きありがとうございました。

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